Q.
質問は何のためにするのでしょうか?
質問をすることにはどんな意味があるのでしょうか?
- 自分がわからないからする質問
- 相手に気づいてほしいからする質問
- 自分の考えを伝えるための質問
色んなタイプの質問がありますよね。
アクティブラーニングが叫ばれる現代では、質問を促すのも講師の技量だと理解されていますが、昔の日本では、相手の話が分からないから質問をする。質問をされる講義をするのは下手な講師だ。と考えられていた時代があったようです。
私がお手伝いしている高校生・大学生の海外派遣研修では、 海外に行く前に5~6回事前研修を行っています。
いくら講師の先生が講義をしても、姿勢正しく聞いているのに反応が薄い。。。
講義の最後に、「質問や意見は?」と投げかけても、「・・・・」反応がない(怒)
間違ったら恥ずかしい、もしかしたら講義内で話していたの聞き漏らしていたかも。
そんなときには、質問か意見が出ない場合には、出るまで 待つという方法で、この人は質問か意見を言わないと終わらせないんだ(流さない)・・・という姿勢を示すことで、 グループから意見を引き出していました。
しかし、私自身がドイツの学生と交流する際に、相手の先生から教えられた、質問することに対する受け取り方の違いを聞いたことで、講義の後に質問がでないときには、「質問する」ということの意味について 伝えています。
質問をしないのは失礼。 まずは質問するつもりで聴く。
ドイツとの交換留学で相手校の日本人先生からこんな話をきいてね。 というところから
「日本の生徒は話をしてくれている人に質問をするのは相手の話が不完全というメッセージを伝えることになるから避けるべきことと考えているのかもしれない。
しかし、質問をすることは、 日本を含む一部のアジア諸国以外では、 相手の話や話し手への興味を示すことを意味する。
つまり、日本の生徒のように質問をしないことは相手の話に興味がないという意味で相手に伝わるよ。
それに質問がないと 話し手は自分の話が良かったのか悪かったのか、相手が理解できたのか理解できなかったのかも分からないよね。」
日本だと静かに講義は聴くものだという意識があるかもしれないけど、 グローバル人材を育成する海外派遣のための講義なのだから、質問するつもりで話を聞いてね。
質問をするのは誰のためか
海外派遣・国際交流プログラムでは、現地で学生同士が説明をし合う場面が多々あるので、こんな説明をしていますが、”講師のため”に質問をすることをしてほしいのではないです。
では誰のためなのでしょうか?
1つ目は、もちろん質問をする自分自身のためでしょう。質問をすることを通じて、話者の話を咀嚼して考え、より深いレベルで理解することができます。
2つ目は、一緒に学んでいる人のため、むしろこちらの意識の方が重要だとも思います。
あなたがした質問は、あなただけが理解できていないことなのではなく、他にも分からなかった人がいるはずです。もしかしたら、話者が話したつもりになっているだけで、語られていなかったのかもしれないです。
私はチームビルディングや組織づくりの視点から、2つ目の 一緒に学んでいる・一緒に行く人のため という話を全面に出します。
講義という場面だけでなくて、集団で派遣に行った時に集合時間や重要な情報が分からないのを、わからないままにしておくと・・・ 結果みんなが遅刻したり、最悪出国できなくなってしまうかも。
ファーストペンギン・セカンドペンギン:何番目に質問をするのか。
無言の質問を待つ時間。日本人ならではかもしれませんが、一種の無言の同調圧力で、お互いを探り合っているような場面では、ファーストペンギンの話をしたり、セカンドペンギンの話をします。
個人の資質より場の雰囲気や人間関係で、質問が出ないことも多いので、現状を変えるためには行動することを称賛する雰囲気作りをしています。
まとめ
「聞いて~」とどんなに言葉で言っても、自分ごとになっていなければ、話は聞かないし、聞いているフリで終わってしまいます。
話を聴いた方が良いな。もっといえば、話を聴きたいな。と思われるように説明を少し加えるだけで、聴き方が変わってきます。
「ただ聴くだけでなく、質問ができるように聴く」主体性のレベルアップ。
コメント