プログラム前にお客さんの工場見学をさせてもらいました。
そしてその後、工場裏の震災の爪痕の残る沿岸部の見学もさせて頂きました。
2011年3月11日、私が属していた会社ではその会社の研修をさせていただいていました。
もちろん仙台からも参加者がいました。
その参加者の方が、震災の爪痕の残る海岸線そばを案内してくださりました。
仙台市内はもちろん、多賀城駅にあるその会社の工場周辺は復興がなされ、アウトレットなどの商業施設も再開されていました。
しかし、新しそうな大きな通りを一本海岸線に向けて渡ると、そこはまだ被災地でした。
震災以前は住宅地立ったというその地域にはほとんど家のない雑草がぼうぼうと生える野原でした。遠くから見ると何事もなかったかのように建っている家も、近くから見ると一階の窓ガラスが割れ廃墟になっていたり、2階だけで生活をしていたり、見ていて言葉ができませんでした。
見学をさせていただいた工場自体も津波に襲われました。聞きたいと思う人だけではないので、基本的には工場見学の中では、震災の話はしないと決めているそうです。
今回は、一般の方の見学の後に特別にパネルを使いながら自身の被災体験を織り混ぜながら話をしてくださいました。
被災当日、社員、関係会社のスタッフ、工場見学のお客様など全員で160人以上が屋上に上がり、津波をやり過ごした話
工場では誰ひとり死者を出さなかった話
夜は、津波の被害を免れた2階の部屋に降りて、予備の作業服などを着こんで一夜を明かした話
散乱した製品を ゴミとして重機を入れて一括で処分せず、資源として回収するため人の手を使い何日も何日も全社員で拾い続けた話
リサイクル回収するため、片付けるために、散乱した製品の上を歩かなくてはならず、初めのうちは自分たちの作った製品の上を歩くことに抵抗があったが、毎日のように歩き続けることで、その事になれてしまい抵抗感がなくなってしまった話
ほんの2~3時間でここには書ききれないほどの話をしていただきました。
忙しい仕事の最中にもかかわらず、車で海岸線まで連れていってくださり、話を聞かせてくださったTさん、am1時まで送別会で今日は11時出勤の予定だったのをわざわざ朝早くから出勤して迎えてくれたKさん、今日の見学をアレンジしてくださった 東北地域会の皆様、そして、異動して新規事業の立ち上げ時期で大変なはずなのに私たちが前日に突然決めた工場見学に朝からお付き合い頂いたNさん 本当にありがとうございました。
最後に、ただの落書きだと思って何気なく目をやった看板に、一番心を癒されました。